2010/12/05

Review: Twin Shadow "Forget"

Myspace
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ドミニカ共和国出身〜ブルックリン在住の26歳、George Lewis Jr.によるプロジェクト、Twin Shadow、4ADからのデビュー・アルバム。Grizzly BearのChris Taylorがプロデュースとミックスで参加している……とくれば、何となく音の傾向は予想がつきそうだが、一筋縄ではいかない。サウンド自体はいわゆるGlo-Fiにも通じるひねくれディスコ・ポップといった感じなのだが、そのひねくれ具合がただごとではないのである。リード曲としてフリー・ダウンロードも行われていた"Slow"のMorrisseyみたいな声にのけぞり、These New Puritansかというくらいダークかつ幻想的なイントロから始まるアルバムのオープニング・トラック"Tyrant Destroyed"で描き出されている美意識にも驚いたのだが、続く2曲目"When We're Dancing"でそのヤバさにはっきりと気がついた。このメロディ、ABBAなのだ。あの"Dancing Queen"の老若男女を問答無用でトラボルタ化させる必殺のメロディをピッチのずれたシンセに乗せて、しかも白いタンクトップを着たFreddie Mercuryのゴーストのような声で、Georgeは歌う。かっこいい曲というよりは、あからさまなまでに挑発的。何に対する挑発かといえば、ChillwaveやらGlo-Fiやらの名を借りた、80sでディスコな雰囲気モノに対する挑発だ。

Twin Shadow / Forget
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アルバムのスリーヴには、その"When We're Dancing"の歌詞が印刷されている。歌詞が載っているのはこの曲だけだ。

I am trying to remember all the things that I've known
(自分が知っていたことを全部思い出そうとしてみる)

と語り起こされるこの曲は、人と人とのコミュニケーションについての歌だと思う。もっといえば、コミュニケーションの断絶と再生についての歌。

And this is how the cleft born inside the silent groud
(こうやって静かな大地の下で裂け目が生まれるんだ)


Please leave us alone when we're dancing
(踊っているときは放っておいてくれ)

Georgeは、このアルバムは海外での滞在とかつて暮らしていたフロリダでの友人関係や家族のの記憶から生まれたと語っている。そして、そんなアルバムに"Forget"というタイトルをつけた理由は、これが「忘れていたすべてを思い出すこと、そしてそれをまた忘れようとすること」についてのアルバムだからだという。どういうことか。このアルバムに記録されているのは、Georgeによる過去とのコミュニケーションであり、またコミュニケーションの断絶であるということだ。Georgeは"When We're Dancing"で、こうも歌っている。

But it's hard for me to render up the things we did
(でも、自分たちがやってきたことを捨て去るのは無理だ)

彼の個人的記憶の中身については知らないし、それがアルバムに与えた影響についても、具体的にはわからない。断片的にはインタヴューなどで彼自身語っているが、それはさほど重要ではない。むしろ、そうした思いから生まれた音楽が、ディスコのニュアンスをまとっていることの必然性こそが肝心なのだ。必然があるから、Twin Shadowの音楽は強く誠実なのであり、蔓延する「80年代」の気分を蹴散らすパワーを持ち得ている。

Twin Shadow "When We're Dancing""


ディスコとは、ダンス・ミュージックとは、コミュニケーションのための音楽であり、それだけにコミュニケーションの不全、すなわち孤独をも浮き彫りにする(踊っているときは放っておいてくれ)。キラキラとしたカクテル・ライトがフロアを照らし、巨大なミラーボールが回転すればするほど、そこにあるコミュニケーション幻想は肥大化し、裏にある孤独もますます巨大化していく。せめぎ合いなのだ。そのどちらを選ぶか(ディスコが黒人音楽であるファンクから出発していることを忘れないでほしい)。ポップ・ミュージックは当然前者をチョイスした。ABBAの人員構成と、そのメロディとサウンドの過剰な多幸感(ミュージカルになってしまうほどだから)は、コミュニケーション幻想のお化けのようなものだ。

Twin ShadowはそんなABBAを引きつつ、アンバランスな音とともにむしろそこに生まれる「裂け目」について歌うわけだ。これ以上の挑発があるだろうか。ついでにいえば、Freddie Mercuryのような声という形容も、あながち間違いではないかもしれない。およそロック・ミュージシャンにおいて、彼ほど華やかさと巨大な闇を表裏一体で背負い込んでいた存在を、私は他に知らない。

80sブーム、シンセ・ポップはインディ・ロックのひとつの様式となったが、そのシリアスな視点が決定的に欠けているということを、期せずしてTwin Shadowの音は告発する。"Shooting Holes"のようなファンク・チューンと"Yellow Baloon"のようなテックな曲が同居しているのは当然なのだ。そこには表と裏、再生と断絶の両方があるのだから。

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