2010/11/20
The Flaming Lips, Zepp Tokyo, 2010.11.17
Mewとのカップリング・ツアー、東京初日。
20時30分過ぎ、サウンドチェックのときからギターを持って歌ったりしていたウェイン・コインが、マイクを手にする。ショウが始まる前の「諸注意」だ。通訳を介して観客に与えられた注意は、ひとつには、スペースバブル(ウェインが中に入ってオーディエンスの上を歩く、透明の球体というか、巨大なビーチボールというか)でみんなの上を歩くので、支えあって協力してほしいということ。もうひとつには、今日のショウでは強烈なストロボライトを使うので、気分が悪くなったりした場合は、ライトを見ないようにしてほしいということ。ウェインは前にここ日本で「ポケモンショック」なる事態が発生したことを知っているのだろうか(知っているわけない)。
かくして始まったショウは、スクリーンに女性のピカピカ光り輝く股間からメンバーが登場するというお決まりの演出から始まって、スペースバブルに風船、紙吹雪、バルーンモンスター、ウェインがはめた巨大な手からはレーザーライト、拡声器、マイクスタンドにつけられたCCDカメラと、趣向を凝らした一大エンターテインメント。セットリストは以下のとおり:
1. The Fear
2. Worm Mountain
3. Silver Trembling Hands
4. She Don't Use Jelly
5. The Sparrow Looks Up at the Machine
6. In the Morning of the Magicians
7. I Can Be a Frog
8. Yoshimi Battles the Pink Robots Pt. 1
9. See the Leaves
10. Laser Hands
11. The Ego's Last Stand
12. Pompeii Am Götterdämmerung
13. Sagittarius Silver Announcement
14. Race for the Prize
Encore:
15. Do You Realize??
Setlist.fmより
つまり、いつもどおりのLipsだった。過剰なまでに展開するカラフルな世界観と、圧倒的な多幸感。有無をいわさぬヴォルテージで、観客を幻惑していく。
だけど。
それはあまりに予定調和で、ご都合主義で、生ぬるいものとして、僕の目には映った。もっと言ってしまえば、その祝祭感はすでにハリボテのようなものになってしまっているのではないか、と。これが、たとえば5年前だったらどうだろう。それどころか、去年のサマーソニックで観たときでさえ、Lipsのパフォーマンスに打ちのめされたはずなのだ。あれはフェスティバルだからこその錯覚だったのか?
The Flaming Lips、ウェイン・コインとは、本来的に孤独な人だと思っている。その裏返しとして、アルバムの完璧な世界観があり、あのとことんやり尽くすエンターテインメント・ショウがある。つまり、あのカラフルでイマジネイティブなパフォーマンスは、彼なりの世界に対する反抗だということだ。ありとあらゆる手段を使って観客をショウに加担させ、のめり込ませ、レジスタンスの「共犯者」へと導く。その共有意識が、あの多幸感につながっている。いや、いたはずだった。少なくとも90年代、いや00年代の前半までは。しかも、実際にそのレジスタンスは有効だったのだ。だからThe Flaming Lipsはメジャーに進出し、"The Soft Bulletin"からの3枚でキャリアの絶頂を刻むことになる。
だが、9.11以降の世界の変化は、そんな彼らとのあいだに徐々にギャップを生み出していた。対世界の関係はことごとく個人戦・ゲリラ戦の様相を呈し、より複雑で入り組んだものへと変わっていった。つまり、わたしが相対する「世界」と、あなたが相対する「世界」が、決定的に分立する、そんな時代になったのだ。そんな時代にPavementやThe Smashing Pumpkinsが復活を遂げたのは興味深いが、それはともかく、端的にいって、ウェイン・コインが画策する笑顔の革命は、全員で共有するレジスタンスの対象たる世界が分裂してしまったことで、そもそも実現不可能なものになっていたのだ。
そうなると、そのパフォーマンスはもはやレジスタンスですらなくなる。単なるファンタジー、アトラクションだ。Do you realize? ノー。ウェインはそれをさらなる過剰な演出で隠蔽したまま、革命の栄養たる幸福を振りまいている。
それが、僕が「生ぬるい」と感じた理由だ。そこに、切実な何かを感じることができなかった。そういうショウとして見れば、驚くべき完成度である。ただの一か所も破綻はなかった。だが、彼らの存在が救いだった経験がある者として、あまりにも、遠くに来てしまった感覚があったのだ。それを裏付けるかのように、会場には僕より若い世代、つまり20代前半以下の観客はほとんどいなかった。
でも、と言い訳のように書いておくが、The Flaming Lipsの歌はどれも素晴らしいし、演奏もいい。ロック・バンドとして、相変わらずパワフルな存在だったことには変わりなかった。ただ、そこに意味だけがなかったのだ。
ちょっと急いで書いてしまったけど、そんな感じ。
おやすみなさい。
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