諸事情により年をまたいでのアップとなってしまったが、nobody's comment的ベスト・アルバム2010年版。トップ5の発表です。
5. Arcade Fire / The Suburbs
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これは経験上断言するが、「郊外」とは「何もない場所」の言い換えである。そこには歴史も、物語も存在しえない。だから、「郊外」は何も象徴しないし、何か をメタファライズすることもない。そこにあるのは乾いた記憶とエピソードの断片、そして出口のない現代の袋小路。Arcade Fireはそんな「郊外」のありかたを前提とした上で、そこに帰れと歌う。拠りどころとなるのは、そこで鳴っていた音楽と、それと密接に結びついた個人的 記憶である。すべての場所が寄る辺のない「郊外」と化したこの世界で、音楽が果たしうる役割とはなんなのか。『Funeral』が暴いたアメリカの末路と 『Neon Bible』に描かれた都市の欺瞞を越えて、「何もない場所」からロックの根源的意義を問いかける。それがこの『The Suburbs』だ。ゆえに、その表現は戦略的撤退とでも呼ぶべきものにならざるを得ないし、だからどうしても、たとえば"Wake Up"のようなパワーをもつものにはならない。だけどアルバムとしては過去2作以上に一貫した物語と命題を提示したものとなっているし、作品全体に通底する(語弊があるかもしれないが)「忸怩たる想い」が、クライマックスにおける大きな感動の波を呼び起こす。
4. Vampire Weekend / Contra
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Vampire Weekendが新時代のロック・スターとなりえたのは、あらゆる意味でこのバンドが空洞のようなものだったからだと思う。夢を描くでもなく、ユートピア を目指すでもなく、ましてや政治的なメッセージを主張するでもない。ワールド・ミュージックの搾取だなどといわれのない誹謗を受けているが、彼ら自身に搾 取の意識などこれっぽっちもないだろう(それが問題だということなのかもしれないけれど)。それでいい、というのが2010年なのだと思うし、むしろその 「空っぽ」な感じこそが彼らに支持が集まる所以なのだと感じる。要するに、彼らはカルチャーにおけるハブなのだ。Vampire Weekendは僕たちに寄り添わないし、何かの文化的コードに依存したりもしない。それらすべての脈絡から断ち切られた位置に、自覚的に自分たちの身をおいて、高品質かつ透明なポップ・ミュージックを創り上げる。"White Sky"のぺらっぺらなギターと下手くそなヨーデルみたいなコーラスを聴いていると、高度に情報化されているように見えながらじつのところネットワークか ら一切遮断されている彼らのありかたが、無性に羨ましくなるときがある。聴いていてただただ気持ちいい。それ「だけ」のアルバム、今年はそんなになかった。
3. No Age / Everything In Between
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いかなるムーヴメントにも、ブームにも寄り添うことなく、ひたすら自分たちの音のフォルムを研ぎ澄まし、本質を磨き上げることにのみ心血を注いだからこそ生まれた傑作。演奏はぎゅっとタイトになり、サウンドデザインも引き締まったものになっている一方で、曲想はより豊かになっているという印象は、このアルバムがNo Ageという「現象」のニュー・フェーズではなく、No Ageの「音楽」のシンプルかつまっすぐな進化の帰結であるということを物語っている。そのことが何より素晴らしい。
ここで鳴っている音は「The Smell」に象徴されるローカル・コミュニティが生んだのでも、ローファイだのDIYだのというシーンが生んだのでもない。そう読み解くことも可能かもしれないが、そうしたところで、そこに未来は立ち上がらない。これはただ、No Ageというバンドの飽くなき挑戦心と冒険心、そしてふたりの密な関係性が生んだ、ある意味で孤独なアート・パンクである。だからこそ、そのエネルギーは「その先」へとリーチする。そもそもパワーを持ちうるアートとは孤独なものであり、その孤独さに打ち克つ攻撃性とインパクトこそが新しい何かを生み出す。カルト・ヒーローとしてはすでに破格だったNo Ageだが、このアルバムを経て、もっと大きな存在へと生まれ変わっていくのではないか。そんな期待が胸に躍る。
2. Kanye West / My Beautiful Dark Twisted Fantasy
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総合芸術点において、2010年、このアルバムを超えるものはなかった。それほどに完成された、隙のないレコード。トラックメイキングのアイディアも、ゲストの選択も、もちろんリリックのストーリーもパーフェクト。だから好き嫌いが分かれるのかもしれないが、このアルバムを正面切って批判できる人間はいないので、その批判はKanyeその人の人格へと向かう……。
しかしKanye Westという人は最初からそういう人だったのであって、その思い込みの激しい性格とときに思考が暴走するような性質こそが、彼の表現を「ヒップホップ」以上のものにしたのだということは、過去の作品が雄弁に物語っている。このアルバムの凄まじさというのは、全方位的にKanyeの本気がみなぎっているというところにある。"Runaway"のあのビデオ、ほとんど誇大妄想といっていい、あの過剰な物語が表明するのは、Kanyeが自らの「欠陥」と「失敗」を認めたうえで、そんな自分をも肯定し受け入れる世界を構築しようという意志である。これまでナイーヴに世界との距離を推し量り、そのなかで巧みにプレイヤーを演じることで自己防衛を図ってきたところがある彼だが、今回はあまりにも剥き出しである。Kanyeの欲望と自負が、全力で迸る。だからこのアルバムはこんなにも熱く、かつ重い。ラスト・トラックの"Who Will Survive in America"は軽やかなビートに乗せた、Kanyeからの果たし状である。
1. Deerhunter / Halcyon Digest
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2010年でもっとも暗いアルバム。だけど、同時にもっとも穏やかなアルバムでもある。Bradford Coxという人は、常に死をそばに感じながら、そことの距離の取り方によって音楽表現をしてきたアーティストだ。それは、死を怖れたり生を儚んだりというようなことではない。むしろ、あらかじめ死がすぐそこにあることに気づいてしまったがゆえの、一種超越した態度(諦観、といってもいいかもしれない)が、彼の生み出すものに特別なかがやきをもたらしてきた。だが今回は、その距離がゼロになってしまった。
Bradfordは今作で、いよいよ死者と「同一化」してしまった。彼は生ある者として死者に語りかけるのではなく、生きていながら死者の側で、死者と戯れている。その絶望の果てでの一人遊びこそが、このアルバムなのである。それゆえ、このアルバムはむやみに優しく、和やかな雰囲気を醸し出している。生と死という対立軸すら取っ払われてしまったから、コンテクストもストーリーもない。断片だけが次々と生まれ重なっていく。オカルトじみてきた? そんなことはない。むしろ21世紀的な死生観として、これほど正しいものもないのではないか。Bradfordは嘲笑交じりで「僕は救われた!」と歌う。それがある種のジョークとして通用するのは、彼が生半可な「救い」などとっくにお呼びでない世界にいるからだ。
じつは、ちょっと前にBradfordがAtlas Sound名義でフリー・アルバムを次々とリリースしたとき、僕はもしかしてこいつは死ぬんじゃないかと思った。異常なペースで作られ、編まれた4枚のアルバムが、まるで遺言のようでもあったからだ。だが、彼は生きている。当たり前だ。生きていながらにして死に寄り添ってしまった彼にとって、生と死の境界線など、もはや意味をなさないのだから。
それにしても、ある種ユートピアてきな構築美を(それこそタイトルも含めて)発揮していた前作"Microcastle"に較べて、本作の取り留めのなさはなんだろう。数々の記憶のかけらが、リスナーの想いとシンクロして、目の前の風景を書き換えていく。深入りするともどって来れなくなりそうな、乱雑で、だからこそ甘美な記憶のスクラップ。実体がないからこそ、記憶は自由に飛び回り、定着することなくその形を変えていく。物語を放棄するかわりに得た自由。それはこんなにも哀しく、だが朗らかでもある。
というわけで、2011年もよろしくお願いします。
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